鬼滅の時代設定は大正時代と聞いて、「それはちょっとおかしい」と感じるシーンはありますか?
物語のスタートが大正元(1912)年の年末だと思われます。
しかし、多くの人々は物語の時代設定を、明治時代とか江戸時代と思っておられたようです。
さらに、作品の時代考証がいい加減という意見が散見されますが、果たしてどの程度いい加減なのでしょうか?
検証してみたいと思います。
【鬼滅】大正時代なのにおかしいと思える点は?
鬼によって家族を奪われた炭治郎は鬼となって生き残った禰豆子を人間に戻すことを目標に、二年間の厳しい修行の末に鬼殺隊として活動します。
ちなみにこの時炭治郎十三歳、禰豆子十二歳です。
果たして大正時代にそぐわないシーンはどのくらいあるのでしょうか?
大正時代に刀を差してるのはおかしい?
日本で廃刀令が出されたのは、明治九(1876)年でしたので、それ以降は刀を差して歩くのは違法になります。
事実、無限列車編では炭治郎達が刀を持っていたことで駅員に追いかけられるというシーンがありました。
しかし、それ以外では、鬼殺隊が白昼堂々帯刀していても、それを咎められるシーンは見当たりません。
廃刀令から三十五年を経たこの時代、帯刀はそこまでうるさく言われなかったのでしょうか?
政府非公認の剣士ではありましたが、ハリウッド映画の『ゴーストバスターズ』のように、庶民の間では鬼の脅威が増し、剣士への期待が広がっていて、暗黙のうちに許可されていたのかもしれませんね。
大正時代に電気が来てるのはおかしい?
遊郭編では夜でも昼間のように明るい吉原の様子が描き出されております。
電気の登場は意外に早く、明治十九(1886)年に東京電力の前身である東京電灯会社が開業。
文明開化の勢いは凄まじく、翌年には名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が立て続けに設立され、電灯の時代がやってくるのと同時にランプが過去のものとなっており、ランプが電灯に取って代わられる様子は、愛知県半田市を舞台にした新美南吉の『おじいさんのランプ』という小説に詳しく描かれてます。
着物の人がほとんどなのはおかしい?
浅草の場面にしても着物の人がほとんんで洋服の人は鬼舞辻無惨とその家族しかいません。
大正時代というと大正ロマン真っ盛りというイメージなので、西洋文化の影響を受けた着飾ったモボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)がもう少し居てもいいような気もしますが、調べてみますと西洋文化や風俗がもてはやされたのは大正九(1920)年から昭和四(1929)年の世界大恐慌まで。
なので、大正の初期は作品の世界のように、まだまだ着物の方が多かったのかもしれません。
大正時代に鬼がいるのはおかしい?
鬼というと安倍晴明などが活躍する平安時代のイメージなので大正時代にはいなかったのではないかという意見も根強いです。
日本の古典文学にみる鬼の存在・奈良時代〜鎌倉時代
確かに奈良時代に書かれた『日本書紀』や平安時代の『伊勢物語』、そして鎌倉時代の『宇治拾遺物語(うじしゅいものがたり)』などには鬼にまつわるエピソードが登場します。
日本の古典文学にみる鬼の存在・江戸時代
江戸時代の『御伽草子(おとぎぞうし)』に書かれた物語の中にも、平安時代の『酒呑童子(しゅてんどうじ)』にまつわる鬼退治伝説には、源頼光や藤原保昌などの歴史上の人物が鬼の首を上げる鬼滅の原作ともいうべき話が収録されています。
日本の古典文学にみる鬼の存在・大正時代
それに引き換え、大正時代に柳田國男(やなぎだくにお)によって書かれた『遠野物語(とうのものがたり)』にはなかなか鬼が登場しません。
座敷童子やカッパ 天狗や雪女などは登場するのですが………。
岩手を訪れた民俗学者・柳田國男と鬼
そもそも柳田國男が訪れた岩手は、鬼を退治した三っ石様と言われる神様が鬼を懲らしめ、悪さをしないという契約のために大きな岩に手形を押したというところから「岩手」と命名されているとのこと。
岩手県大船渡市に伝わるスネカという秋田のナマハゲと似た風習もあるので、柳田が鬼を取り扱っていないというのは不自然な感じもします。
しかし、民俗学という学問が成立した大正時代は、今よりも異界が人間の世界のすぐ近くにあった時代だったといえるのではないでしょうか?
きっと大正時代の人たちは天狗や妖怪と共に、鬼が実在するイメージをリアルに持っていたとしたら、物語の舞台にこの時代が選ばれた意図としては、絶妙な気がします。
蒸気機関車が走っているのはおかしい?
映画でも大ヒットした無限列車編では、蒸気機関車が登場します。
そもそも日本に蒸気機関車が登場したのは、鉄道が開通した明治五(1872)年。
この時は英国製を輸入したのでしたが、開通から二十一年後の明治二六(1893)年に初めて国産車両が製造され、大正時代になると、日本オリジナルの蒸気機関車が製造されることになりました。
ちなみに無限列車は、大正時代に普及した国産機関車「国鉄8620型蒸気機関車」だということで、実際には大正三(1914)年に運用が開始されたそうです。
国産の蒸気機関車製造のピークは大正九(1920)年、大正十(1921)年で、年間で百両以上が製造されますが、蒸気機関車は電車に取って代わられて行き、昭和三(1928)年に製造されたのが最後の蒸気機関車となりました。
しかしながら、わずか十五年の間に六百七十八両もの国産蒸気機関車が製造されました。
【鬼滅】大正以外の時代だとおかしい?
ネットなどではいまだに根強い「大正以外でもいいんじゃないか?」説が囁かれておりますが、果たしてそうなのでしょうか?
もしも江戸、明治、昭和の時代が鬼滅の舞台だったらどうなっていたか?検証してみたいと思います。
江戸時代でもよかった?
無限列車は?
もしも鬼滅の刃の舞台が江戸時代だったとしたら、無限列車編でみられたスピード感ある十二鬼月の一人、下弦の壱の魘夢(えんむ)との戦いに支障が出てくるので、無限馬車とかにしないといけないのかもしれません(笑)
封建社会の比較は?
それは別として、絶対悪である「鬼」を倒す勧善懲悪が鬼滅の成功の大きな要因であると言われてますが、そんな鬼の世界は鬼舞辻無惨を頂点とする階級社会であります。
そう考えると江戸時代はまだまだ江戸幕府による身分制度があり、人間社会もまた幕府が大きな権力を持っていてコントラストがつきにくいのかなと思います。
文明開化を経て、自由な気風の大正時代にこそ鬼に対するアンチテーゼが効きやすいのかなと。
武士道精神の復活は?
あと、鬼滅の刃の魅力は、日本社会の根底に流れる武士道精神の復活だったと個人的に思います。
自分自身のためにというより、「誰かの為に強くなれる!」とか、「人の役に立て!」とか、自分以外の大切な人の為に命をかけて戦い、それこそがモチベーションとなって「強くなる」というメンタリティーは、まさにサムライスピリットの根源であり、新渡戸稲造の名著『武士道』にも通じます。
もしもそれが江戸時代だと、武士道が一般常識だったので、武士道的な精神性が江戸の社会に埋没するような形になり、引き立てにくくなるのではないでしょうか?
明治時代でもよかった?
明治維新を経た日本は急速に文明化が進み、前述の通り明治五(1872)年には鉄道が開通しておりますので、イギリス製とかプロイセン製かもしれませんが蒸気機関車が運行してましたので、無限列車編の舞台も整っていると思います。
ライバルとのかぶりは?
しかし、すでに大ヒットしている『るろうに剣心』の世界と被ってしまうし、まだまだ江戸の教育を受けた人たちが明治時代にはお元気でしたので、武士道精神の魅力をうまく引き立てるには不利に働いた可能性があるのではないかと思います。
なので、『鬼滅の刃』の舞台が明治時代だったとしても、大正時代以上のインパクトは出せないと思います。
昭和時代でもよかった?
鬼滅の刃は昭和では成立しずらかったでしょう。
世界情勢は?
世界情勢が緊迫し、日本も暗い時代につきすすんでいきます。
明確な敵国が現実世界にある中、物語のバランスに影響が出てくるのではないでしょうか………?
剣と呼吸による戦いの必然性が薄れるかもしれません。
自らの技を磨き、可能性の追求もまたこの作品の大きな魅力となっていると言えるので、大正という時代を選択したことは、爆発的ヒットの大きな要因になっているのではないでしょうか?
【鬼滅】大正時代なのはおかしい?まとめ
いかがでしたか?
社会現象を巻き起こした大ヒット漫画ですが、大正時代に設定されたことはとても大きなポイントだったといえると思います。
同時に、廃刀令が施行されてる大正時代における刀の扱いの問題はありますが、それ以外は問題ではない程度に時代考証的にも裏付けされているのではないでしょうか?
社会学者の井島由佳さんによると、鬼滅の刃の成功の理由として、家族愛や人類愛、仲間による友情信頼、そして卓越した技能を持つ先輩柱への羨望や、自らを高める目標などを挙げています。
江戸の影響が薄れ、文明化が色濃い大正時代は異界に棲む鬼とのコントラストが最大限に発揮されたという時代の魅力が大正時代にはあるのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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