世界中で大ヒットし、テレビでの新シリーズも高視聴率で終了した『鬼滅の刃』。
鬼滅の舞台は大正時代というのは具体的に大正何年から始まったのかご存知ですか?
大正時代は15年間ありますが、物語に登場するキャラクターのセリフなどを手がかりに逆算すると、『鬼滅の刃』第一巻一話は大正元(1912)年の年末から話が始まっている可能性が高いのです。
ではどういう理由でそうなるのか、考察していきたいと思います。
【鬼滅】大正何年から始まったかを割り出す唯一の手がかり!?
単行本1巻の最終戦別で登場する「手鬼」は、炭治郎の師匠である鱗滝さんにとらえられたことから、鱗滝の育て上げた剣士に対して恨みを持っており、なおかつ藤襲山(ふじかさねやま)に長年閉じ込められていることに憤(いきどおり)を感じており、
手鬼 「狐小僧 今は 明治何年だ?」
炭治郎 「今は 大正時代だ」
『鬼滅の刃』 1巻第7話
既に元号が明治から大正に変わったことを知らずにいた手鬼は、時代の流れに取り残されていたことを知ると狼狽し、決定的なセリフを発しました。
ここから逆算すると、大正元年から大正四年の間に絞られます。
手鬼「知ってるさァ!! 俺を捕まえたのは鱗滝だからなァ。忘れもしない 四十七年前、アイツが まだ鬼狩りをしていた頃だ。江戸時代…慶応の頃だった」
出典:『鬼滅の刃』 1巻第7話
つまり、手鬼が捕まったのが炭治郎と対決する47年前の慶応時代。
風雲急を告げる幕末、西暦にすると慶應元(1865)年〜慶應四(1868)年が慶應時代で大政奉還とか坂本龍馬がやられた近江屋事件とか鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争の時代で非常に短いながら激動の時代です。
この時代鱗滝さんは果たして勤王派だったのか佐幕だったのか、それとも政治からは距離を置いていたのか、個人的にはとても気になるところです。
ともあれ手鬼は炭治郎と出会うまでの47年間、藤襲山に幽閉されていたことを考えると、慶應に年号が変わったばかりの慶應元(1865)年に捕まったとしたら炭治郎と相対したのは大正元(1912)年、鳥羽伏見の戦いが勃発した慶應四(1868)年の捕縛だと大正4(1915)年になります。
【鬼滅】大正何年に禰豆子は鬼になったのか?
前述の通り、藤襲山に至るまで炭治郎は鱗滝左近次の元で2年間修行をしております。
ということは、この時点で既に大正三(1914)年もしくは大正四(1915)年になるので、物語の始まりは大正元年か二年に絞られてきました。
単行本第1巻の1話に以下のようなセリフがあります。
炭治郎「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたいし」
出典:鬼滅の刃 1巻第1話
つまり、もしここで言われてる正月が大正三(1914)年の正月のことであるなら、物語の始まりは大正二年の暮れの出来事であることになり、二年の修行の後の藤襲山は大正五年となり、計算が合わなくなります。
結論 従って上記のセリフで炭治郎は大正二(1913)年の正月を迎えようとしていたことになり、『鬼滅の刃』の物語が始まったのは大正元(1912)年の年末だと推察されます。
炭治郎が家族を失った大正元(1912)年十二月!その時世の中は?
鬼滅の刃の時代背景である大正時代は西暦でいうと、1912年7月30日から1926年12月24日まで。
物語が始まったであろう大正元(1912)年の十二月は世の中どんなことが起こっていたのでしょうか?
この年の年末、大正元(1912)年十二月五日に第二次西園寺内閣が総辞職し、十二月二一日には第三次桂内閣が成立しています。
立憲政友会を伊藤博文から引き継いた西園寺公望と、桂太郎(山縣有朋の系列で、「ニコッと笑って肩をポンと叩いて意思を伝える」いわゆる「ニコポン」政治家と呼ばれた)が政権を交互に担当した桂園時代【1901年(明治三四年)から1913年(大正二年)】の終盤です。
活気にあふれた大正時代の文化
大正元(1912)年から始まった鬼滅の刃ですが、前年の明治四十五(1911)年に吉原大火があり、一帯は灰燼(かいじん)に帰したそうです。
その後大門が復旧し、花魁道中が行われたのが大正三(1914)年だそうですので、鬼滅の刃遊郭編で花魁道中が描かれていたので、逆算すると大体ピッタリですね。
そのほか小説や音楽、演劇、建築、アートなどなど、西洋の文化を柔軟に吸収し、活気に溢れた時代でもありました。
【鬼滅】 大正何年から始まった?まとめ
明治維新は大化の改新と共に日本史の二大転換点と言われており、維新から四十五年が経った大正時代というのは、新旧文明が入り混じった時代であり、柳田國男を中心として民俗学が確立され、『遠野物語』などでは鬼や妖怪などの話が数多く収録されており、大正時代はまさに異界が人々のすぐ近くに存在していた時代と言っていいかもしれません。
そんな時代の物語は、刀に象徴される侍の精神をはじめ、私たちが文明社会で失ってしまった大切な価値観を感じさせてくれるので、その辺もこの作品の大きな魅力なのかもしれないですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント