鬼滅の刃の中で、痣(あざ)が体に発現するシーンがありますが、その条件について疑問に思った方はいらっしゃいますでしょうか?
物語の初めから炭治郎の額の左側には痣がありました。
しかしそれは弟をかばって謝って火傷をしたために出来たもので、後天的に負った怪我でした。
しかし修行を重ねるにつれてその痣の形が変化し、妓夫太郎(ぎゅうたろう)の首を落とす直前には明らかに痣の形状が変わるという場面も記憶に新しいと思います。
では痣はどのような条件が揃えば発現するのでしょうか?
また痣が出現した時にどんなリスクが考えられるのでしょうか?
考察していきたいと思います。
【鬼滅】痣が発現する条件が揃うと覚醒モードに!しかし………
強大な力を持つ鬼と対峙(たいじ)し、命をかけた瞬間、痣の発現が始まりました。
この痣の発現は、どのような条件で起こるのでしょうか。
鬼滅の刃の世界では、剣士たちは日々の修行を重ね、呼吸法を磨き上げ、鬼との激しい戦闘を繰り広げています。
普段の修行や戦闘で身につけた技や呼吸法だけではなく、剣士たちの中には、さらなる力、覚醒モードを手に入れることができる者もいます。
そのキーポイントとなるのが「痣の発現」です。
この痣の発現は、剣士が自らの限界を超え、鬼との戦闘で更なる力を必要とした時に起こることが多いのです。
痣が現れた者を「痣者」と呼びます。
この痣者になることで、身体能力は飛躍的に向上し、鬼から受けた傷も以前よりも高速で回復するようになります。
どのような条件が整ったら痣の発現のトリガーとなるのでしょうか?
心拍数二百の壁を越える
戦闘の中で心拍数二百位上を打ち始めることが挙げられます。
一般的な心拍数は一分間に六十から百回だと言われています。
それが二百を超えると普通の人は足に力が入らなくなったりしてふらふらになり、気を失う人もいるくらいの数値です。
しかし、鬼との戦闘の中で自らを追い込み、限界を超えたさらに高い領域に踏み込んだ時に痣が発言するということですね。
体温三十九度の壁を越える
また、体温が三十九度に達するということも言われています。
人によって差はあると思いますが、日本人の平均体温は三十六.六℃〜三十七.二℃。
十歳〜五十歳の日本人三千人の平均体温を調べたところ三十六.八九℃という結果が出ております。
私自身も三十九度も熱が出た経験というとインフルエンザにかかった時くらいで、その時は布団から出ることも難しいくらいふらふらしてました。
鬼との戦闘によって覚醒したことで体温が上がり、内部のエネルギーが燃焼した結果ということだと思われます。
【鬼滅】痣が発現してもこの条件なら長生きできた?
鬼との戦闘で覚醒し、痣が発現した人は強大な力と引き換えに大きなリスクを背負うことになります。
作中ではそれを「寿命の前借り」という言葉で表現されるのですが、痣者になった後の人生に果たしてどのような影響を与えるのでしょうか?
痣の発現によるリスクは二十五歳までの命
以上の二点の条件から、痣を発現したものは肉体にかなりの負担をかけることが必要とされることは想像に難くないですが、それゆえのリスクとして寿命は短くなり、二十五歳までに死ぬといわれています。
それは黒死牟(こくしぼう)が悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)に対した時に明かしました。
「寿命の前借り」という表現からもその過酷( かこく)さが伝わってくると思います。
一度覚醒モードに入り、痣が出現した肉体には多大なる負担がかかるということなのでしょう。
戦国時代の柱は皆痣者だったとのこと。
しかし、痣者は二十五歳までに命を落としたので隊の消滅の危機もあったのだそうですが、なんとか大正時代まで繋ぐことができました。
しかし痣の伝承は後世には受け継がれず、いつの間にか途絶えてしまったのです。
愚兄賢弟?短命を嘆いた痣者のあり得ない行動とは?
上弦の鬼の中でも最高位の壱の座にいる黒死牟が人間だったころ、始まりの呼吸である日の呼吸の達人継国縁壱(つぎくによりいち)の兄でした。
継国巌勝(つぎくにみちかつ)こそ鬼になる前の黒死牟の姿でした。
しかも巌勝は痣者として月の呼吸を武器に隊士となっていました。
しかし、弟の縁壱の才能に嫉妬しつつも、兄の巌勝はいつか弟を越えようと努力します。
そんな中「痣者は二十五歳までしか生きられない」ということを知った巌勝は絶望してしまいました。
残された時間ではとても弟を超えられないということを悟ったからです。
そこで、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)からの甘言(かんげん)に惑わされ、隊をやめて鬼になったのです。
例外も。あの始まりの剣士は長寿だった
鬼となった黒死牟との戦いで縁壱は剣を構えたままその生涯を終えました。
それは縁壱が八十歳をすぎたころでした。
戦国時代の日本人の平均寿命はなんと三十六歳から三十八歳だと言われています。
今の日本人は男女ともに平均寿命が八十歳を超えましたので、戦国時代は今では考えられないくらいに人の一生は短かったということです。
そんな時代にあって縁壱は長寿を全うしましたが、その理由として、縁壱の痣の発現は先天的なものであったことが語られてます。
縁壱はそのずば抜けた才能を天から与えられた存在であることから、痣を発現させながらも八十歳を超えるまで長生きをしたものと思われます。
戦国時代、始まりの呼吸の剣士には皆痣があったのだそうですが、それ以降柱の中にも痣者はおらず、伝承されませんでした。
【鬼滅】痣が発現する条件2選!まとめ
鬼と互角に戦える剣士はそれだけでも優秀で、柱ともなれば、普通の鬼なら恐れ慄(おのの)くものですが、そんなトップレベルの強さを誇る柱といえども痣が発現するものは長らくいませんでした。
大正時代に至って、鬼殺隊の中に突如現れた痣者が竈門炭治郎だったのです。
しかし炭治郎は柱ではありませんでした。
十階級の中の一番下の癸(みずのと)から始まり、痣が発現した遊郭編での炭治郎の階級は下から四番目の庚(かのえ)でした。
しかし、炭治郎こそ日の呼吸の技を今に伝える一族の末裔だったという伏線が、痣を手がかりに回収されるのです。
やがて炭治郎に続くかのように柱たちにも痣が発現します。
時透無一郎や甘露寺蜜璃、冨岡義勇に悲鳴嶼行冥、不死川実弥、伊黒小芭内………。
柱たちは結集し、自らを追い込み、最終決戦のクライマックスを飾るのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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