鬼滅の登場人物の名前は実在するのか?
誰もが疑問に思ったことがあると思います。
国内には十万〜三十万種類もの苗字が存在すると言われており、実在する名字が数多くあります。
炭治郎の先輩剣士の村田さんとか、隠(かくし)の後藤さんななど、脇役のキャラさんには一般的な苗字の登場人物もいますが………今回も名字由来netで調べてみますと………興味深いですよね。
一つ一つの名字を掘り下げるとあっと驚く歴史が浮かび上がってきます。
【鬼滅】名前は実在したけどそれなりにいる名前。
冨岡【全国順位】1,826位 、【全国人数】はおよそ8,500人。
伊黒【全国順位】 21,726位 【全国人数】 およそ190人。
甘露寺【全国順位】 46,327位で【全国人数】 およそ50人 ………といった感じです(人名由来net)。
しかし登場人物の中でも残念ながら嘴平(はしびら)、胡蝶(こちょう)、煉獄(れんごく)、宇髄(うずい)、時透(ときとう)、悲鳴嶼(ひめじま)、鱗滝(うろこだき)、鋼鐡塚(はがねづか)などは存在しないようです。
しかし今回はそんな鬼滅の登場人物の名前の中でも、実在するレア苗字について考察していきたいと思います。
【鬼滅】名前は実在する激レア姓!不死川家の祖先はお坊さん?
刀鍛冶の里編の温泉シーンでいきなりマッチョな不死川玄弥が登場し、炭治郎を驚かせましたが、この不死川という姓は【全国順位】 76,478位 【全国人数】 およそ10人だそうで、大阪府羽曳野市や奈良県北葛城郡にお住まいなのだそうです。
大阪羽曳野市で一四〇〇年前に開山した明教寺があり、そのお寺のご住職は今も不死川さんがお務めだとのこと。
元々は浄土真宗のお寺のそばを流れてた川の名前?
羽曳野市を流れる東除川(ひがしよけがわ)は、その昔、支那津川(しなづがわ)と呼ばれていました。
その川のほとりに今も明教寺というお寺があり、ご住職のお名前は不死川さんがお務めなので、由緒が現代にも伝わっています。
なんでも支那津川のお名前をいただき、「支那津(しなづ)」と「死なない命」という意味を持つ「不死」をかけ合わせて「 “不死(しなず)の川”で不死川(しなずがわ)」と読ませたものと思われるそうです。
地域に伝わる川の名前に仏教的な考えを掛け合わせたありがたい苗字なのですね。
鬼滅のレアな名前の実在にまつわる聖徳太子の威光!
不死川さんがご住職を務めるこの明教寺ですが、前身は鳳凰寺といったそうで、推古八(600)年に創建されたそうです。
そのお寺は古来より聖徳太子に深く関わるお寺として有名でした。
天皇の夢のお告げの内容
日本初の女性天皇であられた第三十三代推古天皇がある時夢を見て、鳳凰に乗った白衣の老婦が羽曳野の地に舞い降りて、
「支那津川のあたりは特別な地域じゃ。高鷲の井が清らかさは素晴らしいぞよ。その地に寺をつくりなされ。そうすれば、世の中は静まり安住の地となりましょう。我は高鷲の主、そしてこれからできる寺を守り神じゃ」
と天皇に告げたとのこと。
翌日、推古天皇はその夢のことを聖徳太子に話しました。
すると太子は「なんと、それは吉兆だ」として、高鷲の地の支那津川の近くに寺を創建し鳳凰寺と名付けました。
名僧の参拝
神亀四(727)年、聖武天皇より東大寺の大仏の建立を指揮し、東大寺「四聖」の一人となった名僧行基(ぎょうき)が鳳凰寺を参拝し、拝石に聖徳太子の業績を彫ったそうで、その石は明教寺に伝わっています。
時の天皇の参拝
天平宝字八(764)年、第四八代孝謙天皇(こうけんてんのう)が行幸の途中に鳳凰寺に立ち寄りました。
聖徳太子の志が失われずに佛の教えが明らかになって日本中に伝わったことを報告し、太子ゆかりのこの寺に高鷲山鳳凰堂明教寺の号をお送りになられました。
その時、孝謙天皇の御付きの人が支那津川の川中の島に渡り、そこを掘ると清水が涌き出てきました。
それを見た人たちはその清水を「島の泉」と呼び始めました。
それからというもの、この辺りの地名を「島泉」と呼ぶようになったのです。
日本書紀にも記述が
『日本書紀』に、百済(くだら)より聖徳太子に駱駝(らくだ)・羊・白雉(しろきぎす)を献上したことが記録されてますが、鳳凰寺の金堂の下に白雉の亡骸を埋葬し、墓標の代わりに石を設置したので、この石は鳳凰石と呼ばれ、信仰されました。
百済は仏教伝来のルートとも言われており、太子との関係もまた興味深いですね。
【鬼滅】名前は実在!まとめ
不死川さんは人数が少ないので、不死川実弥玄弥兄弟が東京の京橋に生を受けた由縁(ゆえん)なんかにも思いを馳(は)せると楽しいかもしれません。
しかし、羽曳野市の支那津川のほとりにそんな由緒正しいお寺があって、そのお寺のご住職は今も不死川さんがおつとめだなんて、なんだか嬉しいですよね。
明教寺は戦国時代には何度か兵火に遭い、お堂も焼失したそうですが、その度に再建され、貴重な宝物もたくさん伝えられているそうです。
お近くに行かれた時は訪ねてみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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